2019年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側」Ⅹ

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★「臭いものには蓋」が横行?
★「諦めない自治体」も一部に



 
 今年度の連載は「戦略論のウラの裏側」と題して、筆者が平素の講演では話しにくい、地域農業の特殊な事情や本質的な課題を戦略発想体系に沿って全般的に書いていくつもりだった。

 だが、書き進めていくうちに、戦略発想体系の「①環境変化」から「②行動単位」の間に潜む「ウラの裏側」があまりに多すぎて、「③自己分析」以降に進めないまま、最終回を迎えてしまったことは誠に申し訳なく、読者には深謝するしかない。

 ただ、①~②の間にある問題は地域戦略の最終的な成否を決する重要部分であり、否応なし筆者も神経質にならざるを得なかったというのもホンネである。

 その理想を書けば――まずは地域の政治的環境を正常化し、無責任体質の集権制や平等意識を排除し、真に才覚ある人材をリーダーに組織編成する――となるが、筆者の経験から言うと、大方の地域がこうした重要課題の抜本的な解決を避け、「臭いものには蓋」で回避したままハード事業の整備だけに執着してきた…と受け止めざるを得ない。

 かつての経営構造対策事業が地域に戦略的な波及効果を生むことなく、各地ともに「いっときの打ち上げ花火」で終わったのも究極的にはそこに原因がある。

 経営構造対策事業は情報収集や地域合意形成などソフト事業も十分に用意された施策であったのに、その戦略的な価値と体系を理解せず、政治的・組織的な課題を克服することもなく、「集出荷・加工・直売・飲食・宿泊」といったハード事業に心奪われ、思いつくまま自らに都合よく、しかも単発で何の脈絡もなく断片的に導入整備してきた、その結果であったろう。

 ゆえに、こうした「地域ぐるみ」を諦めて、先進的農家だけを「一本釣り」するように登場したのが今の6次産業化ではなかったか…。

 だが、それは「地域から個人へ」「面から点へ」と方針を大幅に後退させた飛沫的な作戦に過ぎず、十数年後には生産者の激減で消滅の危機にさえ直面しそうな日本農業にいかほどの効果をもたらすのか、はなはだ疑問と言わざるを得ない。

 だからこそもう一度原点に立ち返って、地域戦略を根本から――と言いたいところだが、多くの地域に「臭いものには蓋」の慣習が横行する限り、これもしょせん無理な話であろう。

 …とは言え、その一方には、戦略の本質を理解し、幾多の困難に悪戦苦闘しながらも諦めることなく、地域の戦略的活性化を地道に目指そうとする自治体が、ほんの一握りながら県内に存在するのもまた事実だ。

 いずれは、そんな自治体の紹介も含めて③以降の「ウラの裏側」を当連載で執筆できれば幸いである。







2019年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側」Ⅸ

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★地域リーダーに必須の資質
★「人材育成こそ」を理念に




 幅広い視野と見識、想像力や指導力を持つ人材こそ地域戦略のリーダーにふさわしい――それは大げさに言えば、大国に攻め込まれた弱小国がいかにしてこれに立ち向かい生き抜くのか、そんな戦いを指導するリーダーの才覚――にも通じるものがあるだろう。

 19世紀の戦略家クラウゼヴィッツは、その著書「戦争論」の第一篇・第三章「軍事的天才」で、戦略指導を司るリーダーに必須の資質を、「勇気と知力に満ちた人材であることが絶対条件」とした上で、「勇気と知力」を次のように解説した。
 
 まず、「勇気」とは「肉体的危険に対する勇気」と「精神的(責任)危険に対する勇気」の二つがあり、特に後者の勇気は「愛国心や名誉心に由来」するという。

 一方、「知力」とは理性や感情など精神力の複合性を背景とする「高度な知的能力」であり、要点を書くならば、それは――断片的で不確実な情報氾濫の中にあっても、予期せぬ状況に遭遇しても冷静さを失わない「自制心」、そして全体の真相や未来を一瞬で看破する「眼力」や「想像力」、即断即決できる「決断力」、さらには苦境に陥った際でも重圧に負けず、周囲をいっそう鼓舞する「意志力」や「不屈性」である――という。

 これを地域戦略のリーダーに置き換えるなら、後者の勇気で意味する「責任」とは「地域」に置き換わるし、「愛国心」は「ふるさと愛」になる。
 さらに知力は、これらの指摘がおおよそ当てはまることになるが、果たして、そんな人材が今の農業界にいるのかどうか…。
もちろん、戦争ではないから「そこまで完璧に」とは言わない。ただ、「それに近い人材」は存在する。

 筆者の狭い人脈の中から一人を例を掲げるなら、石川県農業会議の元職員・松本友信氏の推薦で知り得た、「㈱六星」(白山市)の元社長・北村歩氏(77)だ。

 今は高齢で引退したが、40年前にわずか5名で立ち上げた地域組織を紆余曲折ながらも「人材育成こそ地域貢献」を理念に、150名余を抱える地域農産企業に育てたリーダーである。

 こうした例が全国的にも極めて少ないのは、北村氏の存在がそれだけ「稀有」だったことを示すが、農業人口が激減する今後、そんな人材を農業界に求めるのはますます難しいだろう。

 ならば、地域の産業界にも広く目を向けて、理にかなった人材を発掘することも躊躇すべきではない。なぜならば、地域戦略の最終的な成否とは結局、「リーダーの才覚」いかんですべてが決するからである。


2019年度上州アグリ100年ブランド協議会主催の講演会で。左が北村歩氏、右は松本友信氏。
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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅷ

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★「+地域」という最終目的
★理に適うリーダーはいるか



 農業界が地域戦略で失敗する最大要因の「組織編制」――当連載ではその背景的な理由を数回にわたって書いてきたが、編制の際の「トップ選出」という点に関しては書き足らないことがあったので、再度、この件について触れておきたい。

 それは、言葉を換えれば「いかなる人材が地域戦略のリーダーにふさわしいか」となるが――ともあれ前段としては「改革への意欲に満ち、戦略の意義も理解する参画者が結集して曲りなりにも組織の構成員が決定した」と仮定しよう。
 
 当然、次の段には「誰をリーダーに選ぶか」という話になるが、連載5でも書いたように「年功序列」や「先任制」の発想による選出はすでに論外だし、自薦他薦による選出も安易に過ぎると言わざるを得ない。

 なぜならば、地域戦略は、個別の経営戦略と比べたら、自己分析や情勢判断の対象範囲や規模が圧倒的に大きくなるからで、それは「目的」の一つを取り上げても容易に理解できるだろう。

 個別の経営戦略なら「個人か組織の利益追求」でよいが、地域戦略は組織や構成員個々に加えて、「+地域」の利益追求も責務になってくるからである。

 「+地域」とは文字通り、産業振興や人材育成、果ては歴史文化や教育福祉、住民生活の充実など、地域全体の発展を意味している。早く言えば、地域農業を核にいかにして地域に幅広く寄与・貢献していくか――それが地域戦略の最終的な目的だと言って良い。

 ゆえに、戦略構想の中にも随所に「地域に対する寄与・貢献のための作戦・戦術」が含まれるから、いかに経営感覚が優れていようとも「自分本位」のような人物ではすでに失格だ。

 次代の環境変化を的確に予見し、構成員を統率しながら戦略・作戦・戦術を柔軟に指揮して、自組織や地域農業はもちろん、幅広く地域に寄与・貢献して全体的な発展を目指す――そこまでの視野と見識、想像力や指導力、意志力を持つ人材こそがリーダーに就くべきことを示している。

 そうした目で読者も、周囲で活動する地域戦略関連の組織や団体、第三セクターを眺めてみるといい…。理にかなった人材が真にリーダーとして選出されているのかどうか――残念ながら、政治的工作や官僚的慣習による選出さえ氾濫していて、その答えが決して芳しくないことを、筆者はすでに知っている。(つづく)

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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅶ

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★「得する人」と「損する人」に
★「逆淘汰」の組織腐敗構造



 一方、「アドバース・セレクション」で言う理論とは「逆淘汰」とも訳される組織腐敗の構図だ。
もとは保険業界から派生した用語らしく、たとえれば、こんな話になる。

  ――とある保険会社が「1日千円の掛け金で、治療費全額保証の保険商品」を販売し始めた。毎日病院に通う不健康な人にとって千円は安い。だが、いたって健康な人にとって千円は高い。結局、保険に入るのは不健康な人だけで、健康な人はいっこうに入らず、保険会社は「不健康な人に保証金を払うばかり」の事態に陥いることになる――。

 こうした状況を組織論に置き換えたのが「アドバース・セレクション」だ。

 たとえば、組織編成で人格に劣る者が役職者に就いた場合、いつの間にか役職者たちが自らの懐ばかりに利益を誘導し、それ以外の者はまったく利益にあずかれない、というような状況を生起することがある。

 これは、直売所の運営などでもよく聞く話で、役職者たちが「よく売れる場所」や「よく売れる商品分野」を独占してしまい、一般の出荷者には手を出させない、といった類の話だ。

 そのため、組織内には「得する人」と「損する人」が同居することになり、そのうちに「損する人」――中でも良い農産物を持ち込む意欲満々の出荷者は不利益を強く感じるから組織を去るし、逆にいい加減な農産物を出すだけの無気力な出荷者は何も感じないから、役職者たち(得する人)の言いなりになって組織に居残り続けることになる。

 要は、組織に居るべき「良い人」がいなくなって、組織に居なくていい「悪い人」ばかりが残るという「逆淘汰」の事態に陥るわけで、これがいずれは、戦略を頓挫させるような組織腐敗へと発展していく。

 モラル・ハザード(理性喪失)もその一つだろう。不平等を批判したり正論を言うような人をいじめたり、追い出したりしていく行為が組織内に蔓延していく…。
 さらには、違法な事業に手を染めるコンプライアンス(法令遵守)無視の温床にもなっていく…。
もちろん、これは農業界に限ったことではなく、行政・団体・民間すべてに共通する問題で、こんな腐敗状況では戦略遂行などぜったい無理な話なのであるが、さてさて読者の周囲に存在する事業や組織はどんな状況にあるだろうか? 

 「コスト」や「アドバースセレクション」の理論に照らし合わせてみれば、おそらくは、これに符合する欠陥事業や欠陥組織があまりに多く存在することに気づかされるはずである。


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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅵ

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★様子見から希望的観測へ
★一致団結しない「及び腰」




 「農業界独特の平等意識」と並んで、「組織編制」を阻害するもう一つの要因――「普遍的な心理」については、1990年代の戦略論などで提唱されはじめた「コスト」や「アドバース・セレクション」の心理的な理論でおおむね説明がつく。

 「コスト」とは――事業や組織の継続が危機的な状況にある場合、本来これを回避するために機構改革を早急かつ全面的に実施すべきなのだが、それには「物理的コスト」だけではなく、目に見えない「労力的コスト」も膨大に必要となる。

 たとえば、機構改革のための情報収集や改革構想の具体化、関係者への意識啓蒙や合意形成、周囲機関への目的変更届などだ。
 …ならば、いっそのこと、改革など諦めて「撤退・廃業」という選択肢も浮上するのだが、その場合、今度は「埋没コスト」の問題にも直面する。これまで投じたコストを「すべて無にする選択」だが、そうなれば、どこかの誰かが責任を問われるという問題も出てくる。

 結局、改革するにも膨大な物理的・労力的コストが必要だし、「撤退…」するにも膨大なコストが埋没するのだから、「それなら現状のままもう少し様子見で」という判断から「そのうち何とかなるかも」という希望的観測が生まれていく――これが「コスト」理論だ。

 たとえば、自治体が運営する「道の駅」があって、それが赤字続きであっても、いっこうに改善されないことがあるが、これも「コスト」理論で説明がつく。
 赤字の原因は大方、「設備が時代遅れになっているか」「事業内容が消費動向にマッチしていないか」であり、自治体でもそのことを十分に承知している。
 だが、改革するには膨大な労力的コストがかかるから面倒くさい。廃業を言えば、埋没コストの責任を問われる。だったら臭いモノには蓋で何もせず、「いずれは黒字になるかも」という希望的観測に流れて、赤字はさらに連鎖していく。

 農業界で戦略組織を編制しても、実際には構成員の多くが「様子見」になるのも、これと同じ心理だ。

 激変する環境や戦略の必要性は理解しても、これに対応するには自らの農業経営自体にも改革が必要で、それには各種のコストが必要だし、また、これまで学んできた技術や知識が埋没する可能性も出てくる。
 「だったら今のままでもいいかも…」という観測から大方が「及び腰」になり、深層心理では「一致団結しない(できない)組織」が出来上がる。だが、これではもはや「烏合の衆の寄り合い所帯」でしかないだろう。(つづく)


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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅴ

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★才覚とは無縁のトップ選出
★責任取らず居座る階層体質



 農業界では、創設する組織のトップを選ぶ際、本人の能力や見識よりも、「年功序列」や「先任制」のような発想から、年齢や経験の多さだけで選出されるようなケースが極めて多い。

 農村社会の閉鎖性も手伝って、「我こそは」と立候補する者もいないから、いや応なしにそうなることが多いのはわかる…のだが、仮に、次代のリーダーにふさわしい優秀な若き人材が構成員の中に存在したとしても、平等意識と唯我独尊が働いて、その力量を認めないし、認め合おうとはしないのが実情であろう。

 ゆえに、もっとも無難な年功序列や先任制――要するに誰からも文句が出ないよう、年齢や経験の多さだけで人選する慣習が暗黙の了解として連綿と続く。

 だが、年功序列や先任制が通用するのは「平事」だけで、曲がりなりにも地域戦略が必要になるのは激変する環境の中で地域農業の存在そのものが問われる、まさに「有事」の時なのだ。
 そして、その地域戦略とは、この「有事」にどう対処し、地域の弱小農家はどう生き残っていくべきなのか――その方策を描く長期ビジョンなのである。

 年功序列や先任制のようなトップの選出では、選ばれたトップ自身に、トップとしての才覚――たとえば、激変する「有事」を的確に分析し、未来を戦略的にイマジネーションする能力や見識――が、真にあるのかどうかは極めて疑わしい。

 むしろ年齢や経験の多さが邪魔をして、「平時」だった過去の成功体験に囚われ、時代錯誤の指示をくり返し、戦略そのものが頓挫する結果にもなりかねない。

 加えて、こうしたトップには「全員の評決で選ばれただけだから」という言い訳がつきまとい、「組織の全責任を負う」という自覚もないから、仮に組織が動かずとも、作戦で失敗が生じようとも一切責任取ることなく、その後もトップの座に座り続ける…という階層体質がまかり通る。

 ――さて、前回と今回とで「農業界独特の平等意識」が組織編成でいかなる弊害を生み出すか理解していただけたかと思うが、それにしても、こうした意識や慣習の元をたどれば、それは農協の組合法に行きつくのでは…とも推測するが、ともあれ、こうした平等意識や慣習を一掃しない限り、戦略の組織編制など、土台、無理な話だろう。

 組織編成する際には、構成員の全員が、まずは「組織とは何か」「階層性とは何か」「役割と任務とは何か」「真のリーダーとは何か」を共通認識としてしっかり学ぶこと――それが第一歩であると断言するしかない。
(つづく)






2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅳ

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★独特の平等意識と唯我独尊
★スタッフの自覚無き構成員



「政略」に並んで、戦略が失敗するもう一つの最大要因「組織編制」――そこには大きく分けて「農業界独特の平等意識」と「普遍的な心理」、この二つに起因する落とし穴が見られるが、まずは前者について、今回と次回、詳細に述べたい。

 組織編成時に「農業界独特の平等意識」が阻害するもの…それは一口に言うなら「階層性」である。
 通常、いかなる組織でも編成と同時に、おおよそトップ(大将)・ブレーン(参謀)・スタッフ(兵卒)といった階層性が決定される。
 また、それによって各自の役割と任務も明確化し、階層性による指示系統の下で一致団結しながら、戦略・作戦・戦術を柔軟に実践していくのが「組織本来の姿」ということになろう。

 だが、農業界の場合、こうした行動組織を発足するために参画者が集まったとしても、この階層性を決める人選段階で早くも躓く。
 平等意識が強いから、上・下の序列を決定づける階層性そのものにアレルギー反応を起こしやすい。
 加えて、家に帰れば全員が「社長同然」だから、平等意識とは裏腹な「唯我独尊」の意識も強く、それが互いにけん制し合うような感情にも発展するのか、余計に人選が困難になる。

 いや、仮に「全員の評決」でなんとか人選して階層性の上・下をどうにかこうにか決めたとしよう。だが、それでも次のような問題が残ることになる。

 それは、各ポジションに与えられた役割と任務を、各自が本当に理解しているのか、という問題だ。

 たとえば、階層性の末端を担う実働部隊のスタッフ――つまりはトップから指示を受ける大部分の構成員であるが――このスタッフたちに「部下としての役割と任務を果たす」という自覚があるかと問えば、「ない」と言った方が正しいだろう。

 表面的にはトップの指示に従うように見えても、いざ本格的な実動段階になると、何を命じても「多忙」や「都合」を理由に動かない。動くとすれば、それは自分にとって「目先の利益」が見える戦術実施の時だけだ。

 ふだんから「社長同然」で、誰かの指示で動くといった経験がなく、すべての判断と行動は自己決定するという習性が身についているから、そうした状況になるのもやむを得ない面かもしれないが、しかし、この意識レベルが続く限り、永遠にスタッフとしての役割と任務は果たせない…。
 
 さらに、こうした意識の問題は、組織を統括すべきトップにも及ぶ。トップとしての役割と任務を自覚する人物が本当に選ばれているのかどうか――という問題である。(つづく)

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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅲ

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★地域の存続さえ危い環境?
★農業の活性化掲げる政局を




 農業戦略が失敗する最大要因の一つ「政略」についてだが――まずは、そんな政略などとはほど遠く、地域の存続さえ危いような状態にある政治的環境を以下に掲げてみたい――。

①「怨念」渦巻く政争の地域
 二大政治勢力が対立し、政争の怨念が渦巻く地域。政権の取り合いで首長が目まぐるしく入れ替わり、その都度、現職が前任の実績を全面否定。ゆえに長期スパンの戦略が推進されていた場合、政権交代時につぶされる。要は「足の引っ張り合い・つぶし合い」で、こうした政争は「首長vs議会」に変化する場合もある。

②「いい人」選ぶ妥協の地域
 群雄割拠の政治勢力で団結しないが、政局を決する首長選では各勢力の既得権益を侵さない点で一致し、妥協の産物で「(どうでも)いい人」を選ぶ地域。首長に哲学や理想もなく、各勢力の権益を干犯しないように政局を運営するだけだから進化なく、時代とともにガラパゴス化していく。

③緊縮財政「呪縛」の地域
 緊縮財政を金科玉条のごとく掲げて、首長が新規の施策を却下し続ける地域。ムダ金の排除はよいが、その呪縛が長年続くと、「何もしなくて良い行政」「働かない行政」が恒常化してしまい、いざという時に政局が新規事業を提案しても、行政そのものがまったく動かなくなっている地域。

④「後継者<」の地域
日本人の特質なのか、経営も政治も、後継者には自分より劣る人材を選択するケースが多々。ゆえに首長や議会が代を重ねるたびに「小なり」(小粒)へと変貌。時代の進化についていけず、徐々に発展から停滞、低迷へと転落していく地域。

 ――ともあれ、こんな政治的環境にあるならば、地域の将来を語るどころか、行政マンにも「やる気ゼロ」「面従腹背」が蔓延して、早晩に地域は崩壊する。

 地域を存続したいのなら、まずは根本からこうした環境を浄化し、次代を見据えた住民本位の政局と行政を作ること…それが先決だ。
 その上で、農業戦略の前提となる政略を講じるとするならば、「農業の活性化」「農を核とした地域連携の産業創出」を第一義に掲げるような人材たちで政局を固めていくことだろう。

 もちろん高齢化や少子化で老人福祉や子育て支援も大切だが、地方政治もしょせん地域産業あっての話。経済的な裏付けがなくては単なるバラマキに終わる。

 理性ある政治的環境の下で産業振興…中でも農を核とした地域産業の振興を掲げる政局を創出すること…それが農業戦略の前提としての政略になってくる。

 さて、読者の地域はどんな政治的環境だろう? 政略が講じられるようなレベルにあるのかどうか…まずは、それを見極めることから始めてほしい。





2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅱ

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★農業界に戦略など不要?
★失敗要因は政略か組織に


 もう五、六年前にもなるだろうか、首都圏のとある著名大学で開催されたシンポジウムでの話である。
 壇上には筆者を含めたパネラーが数名。各自持ち時間20分間ずつで地域農業活性化への持論を順番に披露し、その流れで筆者も戦略論の概要を話した。

 ところが、パネラー最後の真打で登場した某大学の名誉教授が、自ら関わる地域のイベント事例を話した後、唐突にもこんな発言を付け加えたのである。
 「…最近、農業界でも戦略を言う人が増えましたが、ほとんど成功せず、失敗に終わっています。農業界に戦略なんて不要。農業者たちには、戦略なんかより、すぐに取り組めるような『小手先の戦術』だけ教えればいいんですよ…」

 残念ながら構成の都合上、これに反論する機会はないままにそのシンポジウムは閉会してしまったのだが――あまりの発言内容に唖然となってしまった。
 「農業者たちには『小手先の戦術』だけ…」という言い方はあまりに農業者を馬鹿にしていないか…。
 いや、それ以上に唖然としたのは、失敗の要因を明らかにしないまま「戦略は失敗…不要」という一言で片づけられたことだった。

 なるほど、確かに、それまで農業界で実施されてきた戦略は失敗に終わっているケースが多かった。
だが、その根本的な要因の9割方は、戦略のコアな部分にあったのではなく、戦略を構想する前段階として必要な「政略もしくは組織編制に不備があった」というのが正確である。

 そうした実情を顧みることなく「戦略は失敗…不要」と決めつけるは短絡的だし、頭ごなしの暴言と受け止めざるを得ない。
そもそも戦略とは政略の延長線上にあるのだから、その地域における政治的環境――政略が失敗していれば、いかに綿密で高度な戦略を構想しようとも、うまくいくはずがない。

 また、戦略の行動単位として編成される組織で、才覚や人格に不相応な人物がリーダーに就いたり、組織の体質に不条理が生じた場合などでも、戦略は実施の段階で空中分解する。

 ゆえに講演でもその点を説明しているつもりなのだが、大方の地域は政略や組織編制を軽視して、いきなり戦略の具現化へと走り出す……これでは失敗に終わっても当然だろう。

 そこで、この場を借りて戦略失敗の最大要因になり得る政略や組織編制をあらめて説明したいと思う。
まずは政略の部分――その地域がいかなる政治的環境にある場合、戦略は失敗に終わるのか――次回、詳細に述べたい。(つづく)



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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅰ

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★クラウゼヴィッツにモルトケ?
★戦略論の背景を赤裸々に


★地域農業をテーマにした戦略論の講演で地方に出かけると、ときおり困った場面に出くわすことがある。
★それは、講演の最中にも関わらず、聴取者の中の一人が、戦略論の手順を話す筆者の言葉をさえぎって突然、大声でこんなことを言い出すような時だ。

「…戦略なんて、若い頃にクラウゼヴィッツとかモルトケでさんざん勉強したんだ。いまさら勉強しても仕方がないだろう…」

★そうした発言をする人はなぜか共通点がある――60~70年代に著名大学に在籍し、マルクスやケインズの経済学に精通。当時流行していた戦争論も読み漁ったようで、地方の農業界にあっては異端児ともいえるほどのインテり――。
★なるほど、若い頃に教養を培うのはおおいにけっこうだ。しかし、講演が粛々と進む中、勝手な発言で横やりを入れるような行為は迷惑千万だ。

★…いや、それ以上に今この場で、クラウゼヴィッツやモルトケの戦争論(もしくは戦争哲学)を論じられること――に閉口し、困惑するのである。
★彼らが活躍したのは19世紀のこと。戦争論はその後、世界各国の専門家によって進化し、戦争の直接・間接的要因だけでなく、政治・国民・倫理・経済・文化・社会、さらには心理学も含めて極めて多面的に考察されるようになった。

★そうした系譜があることを知ってか知らずか、唐突にも、化石のような古典的戦争論を持ち出すのは、時代錯誤も甚だしく、ましてや筆者が話す戦略論と、そうした高名な戦争論とを一緒くたにすること自体、「大きな勘違い」と言うしかない。
★筆者の戦略論とは、農業者や地域農業が今後に取り組むべき作戦段階や将来に掲げるべき戦略目標を明確化して、フロー図に描いていく――そのための手順を示した方法論である。

★だが、1時間程度の講演では手順の説明だけで終わることが多く、当然、別個に掲げる作戦や戦略目標の背景に存在する、必然的な論理を述べる暇もない。
★否応なし、戦略という言葉だけが独り歩きして高名な戦争論と混同され、例のような発言も飛び出てくるのかもしれないし――。それに、ホンネを言うならば、筆者の戦略論とは、その背景にある必然的な論理や条件を、すべてクリアしない限り、実現不可能な戦略論であることも事実である。

★そこで今年度の連載では、ふだんの講演などでは説明しきれない、背景にある必然的な論理や条件を、戦略フローに沿って説明することにした。
★題して「戦略論のウラの裏側」――裏に潜む特殊事情をあえて表に出して、赤裸々にする戦略論である。



農商工+学連携! 伊勢崎商業高校商業研究部の部員たちが市長と記者会見

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★「地域に『喝!』どん」プロジェクトで、地場産品を活用している飲食店の紹介HP公開や、インスタ映えする地場産メニューのフェア開催(6/1~6/14)、地場産メニューで対決する「No.1決定戦」(6/15)のフィナーレ開催に取り組む伊勢崎商業高校の商業研究部の部員たちが、6月3日(月)、伊勢崎市役所で、五十嵐市長といっしょに記者会見しました。
★同部では、数年前から、伊勢崎市「農&食」戦略会議と連携してプロモーションビデオを製作・発表してきましたが、今年度は市域の飲食店を動かうビッグ・イベントにチャレンジ。伊勢崎市の「ブランド・テロワール」は、農商工連携から、「農商工+学」へと発展しています。


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伊勢崎商業高校創立100周年記念プロジェクト  「地域に『喝!』どん」

★地場産味わうフェアde伊勢崎テロワール
★「地域に『喝!』どん」の第2弾が6/1からスタート! 

 
 2年前から「伊勢崎『農&食』戦略会議」と連携し、広報活動などを続けている同校の商業研究部が、今年度は伊勢崎商業高校商業創立100周年記念プロジェクトの一環として「地場産味わうフェアde伊勢崎テロワール 地域に『喝!』どん」を企画。

 第1弾では、4月から伊勢崎市内で地場産品を活用したメニューを提供している飲食店を順次取材。紹介するHPを立ち上げ、5月10日から順次発表していますが、これに続く第2弾のフェアが、6月1日(土)よりスタートします。また、フェアが終了する翌日の6月15日(土)には、集大成的な意味合いとして、地場産品活用のメニューでNo.1を競うフィナーレを、伊勢崎卸売市場で開催予定です。詳しくは、以下をご覧ください。

■第1弾/店舗紹介HP作成
「地場産ミシュラン! どっぷりジモチーな店はどこ?」
★伊勢崎市内で地場産を活用したメニューに取り組む飲食店を順次訪問・ヒアリングし、伊勢崎商業高校のHPにアップしていきます。

■第2弾/飲食フェア
「インスタ映えのお特盛! 食べなきゃ損だよ、いせさきグルメ」
★開催期間=2019年06月01日(土)~14日(金)の2週間(期間限定)。
★店舗対象=伊勢崎市内で地場産メニューに取り組む飲食店の有志が参加。

■第3弾/フィナーレ
「市場で店主が大バトル! 食べて選んで、いせさきグルメNo.1」
★開催期日=第2弾フェアの「フィナーレ的なイベント」としての位置づけ。第2弾のフェア終了日の6月15日(土)
★開催時間=07:30~12:00
★開催場所=伊勢崎地方卸売市場内・特設会場
★No.1決定=伊勢崎市内の飲食店が地場産メニューを引っ提げて特設会場に屋台を出店。伊勢崎商業高校・商業研究部がライヴ感覚で、屋台の売れ行き状況を放送するとともに、審査員になって「いせさきグルメNO.1」を決定!

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「テロワール発想」とは
★Wikipedia によれば「農作物の土地や気候など生育環境を意味するフランス語から派生した言葉」で、その起源は「何世紀にもわたってフランスのワインメーカーが、異なる地域のブドウ園、異なる区域のワインの違いを観察し、それぞれに独特の生育環境があることを示す用語として使われるようになった概念」とされ、地域おこしや里山おこしの運動などでも最近、日本でもテロワールが例えられるようになった。
★たとえば――1 人の農夫が農作業して 1 日に往復できる距離はおおよそ半径15km。この地域を自らの「ふるさと」と捉え、この「ふるさと」で「最高のワイン」を造るなら、その土地と環境に伝わる土壌菌を生かし、伝来のワイン葡萄品種を育て、周辺の山々にあるオーク材で組んだ樽に詰め込み、地域伝来の醸造菌を活用して醸造すること。そして、このワインにマッチするのは地域伝来の食材と調理方法で作った料理であり、それこそが「最高の食文化」である。その誇りを持って周囲の人々にも地域の食文化を伝え、魅了し、周囲の人々をも「ふるさと」に誘い込む――といった発想になる。
★それは、現代の時代の言葉を借りるなら――地域環境を保全ながら、その環境で育成・採取できる原材料をもとに、地域の人々が地域の知恵と技で独自の食文化や生活文化を築き、これを伝統として継承し、周囲にも発信し、周囲の人々を誘い込んでい――つまりは「農商工観光連携による環境保全型の地域経済活性化」ということである。

読売新聞全国版の「地域力」に伊勢崎市農政課の取り組み

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★2019.04.25付け読売新聞全国版(26面or27面)に、群馬県伊勢崎市農政課のブランド化事業が取り上げられました。
★地場産品でブランド化を目指している地域の方は、ぜひ、参考にされたし。

2018年度全国農業新聞連載Ⅹ 上州アグリ100年ブランド戦略

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★ブランド・テロワール戦略
★農商工観光連携の地域経済



 「まずは足元から地盤を固める」とは、当方が提唱する戦略論「本丸・出城・遠征」にも通じるが、これは欧州で今も延々と受け継がれるテロワール的な概念にもよく似ている。

 ウィキペディアによればテロワールとは――土地を意味するフランス語に由来する言葉で、ワインやコーヒーの品種における生育地の地理や気候の特徴を指し(中略)、日本語では「生育環境」とでも訳す――と紹介されているが、この際、筆者の独断的な解釈も多少加えて説明すると、次のようになるだろう。

 「…その土地にはその土地に適合した生体が存在する。それらを守り、活用してこそ最高のモノが生まれる。ワインなら、そこに育つブドウの伝来品種、古来ある土壌菌や醸造菌、近隣の山のオーク材で作った樽で貯蔵することだ…」

 「…そのワインにマッチするのは、同じ土地と環境に育まれた食材であり、これらを共に食することで最高の食文化が生まれる…」

 「…ここで言う土地の広さとは、一人の農夫が1日の農作業で往復できる範囲(徒歩で半径15km程度のエリア)で、この中で暮らしの営みが完結できる生活こそが、至高の暮らしであり、そこに住む人々の誇りであり財産である…」

 要するに、地域は地域らしい環境で原材料を育み、地域の知恵と技でモノを作り暮らしを営み、そこに築かれる産業と文化こそを「地域の誇り」として周囲にも発信し、観光客を呼び込み、いっそうの豊かさを築いていく…今の言葉で言うなら「農商工観光連携の地域経済」であろう。

 かつては日本の地方にもそうした概念は存在したはずだ。しかし、官・民揃って効率化を追求するあまり、いつしか地域は地域らしさを見失い、産業は「縦割り」のまま、見るも無残な姿に変貌しようとしている。それは群馬県内の各地域も例外ではない。 
 
 ゆえに、今の群馬に一石を投じたいと発足したのが「上州アグリ100年ブランド協議会」(奈良哲男会長)であり、それは「ブランド・テロワール」とも呼べそうな戦略目標を掲げた団体でもあった。

 もちろん同協議会による非力な活動ごときで、地域の産業人が一致団結して、すぐにでも「農商工観光連携による地域活性化」への機運が高まる……などとは夢にも思ってはいない。

 ただ、たとえ非力でも群馬には「地域らしさを取り戻そう」という微かな灯火がこの時代にあったという確かな歴史――それを刻み残したいという願いを秘めての目標設定であった――ことも、また事実である。(完)


追記

■今回、全国農業新聞群馬版に連載してきた「上州アグリ100年ブランド戦略」は、2018年度の「地方連載部門優秀賞」に選ばれました。
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2018年度全国農業新聞連載Ⅸ上州アグリ100年ブランド戦略

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★群馬県中央域を「本丸」に
★「地域No.1ブランド」を




 もう一度、③の「自己分析」に立ち返って、当協議会の各会員たちが所有する経営資源や中核能力の「真の実力」を分析してみるならば、おおよそ次のようになるだろう――。

 …AI・IoTを活用するような先端農業には取り組めないし、個人間取引アプリ活用の販売に乗り出せるほどの若さもない…。

 …メーカー品に対抗できるような加工品づくりに取り組めるほどの才覚もないし、北海道に勝てるような大規模化・量産化を実現するのも無理…。

 …強みがあるとすれば、「土づくりと栽培技術の向上」による品質づくりだけだが、首都圏に出て全国トップレベルの「土俵」で勝負できるほどの品質までを達成するにはまだまだ多くの時間が必要…。

 …しかも高齢の零細農家であるから、仮に、ある程度の品質基準をクリアするブランド化品目は作り出せたとしても当面、その出荷量は3,000や5,000の単位が「関の山」…。

 ――ということは、出荷量の3,000や5,000に見合った「販売エリア」を対象に、高齢の零細農家でも取り組める「販売形態」で着手すること――それが④の「仮定仮説」の最終的な回答になってくるだろう。

 ならば、その本丸とも言うべき「販売エリア」とはどこか。ここまでくれば、もう難しい話ではない。

 出荷量で3,000や5,000が単位のブランド化品目ならば、人口100万人前後の消費地で十分のはずだ。ということは、群馬県中央域というエリアに限定しても顧客は十分確保できるということになる。

 そのうえ、全国の情報が日々氾濫しているような首都圏よりは、情報量が少ない地方で商品情報を消費者に提供するのだから、それだけ認知度の普及も早い。

 加えて地方には、彼らにも馴染み深い直売所や道の駅が点在する。これらを拠点にするならば、高齢の零細農家でも小売価格の決定権を持って自ら直売することも可能だろう。
 
 さらにはエリア内のライバルも、首都圏に比べたら圧倒的に少ないのだから「地域No.1ブランド」の地位も達成しやすい。

 早く言えば――強豪だらけの大消費地に豆鉄砲を撃つような戦いは避け、まずは重点的な販促を地元でくり広げて地盤を固め、「本丸」を築いていく――そんな発想から生まれたのが「半径30kmの地域経済圏確立」だった。(つづく)

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2018年度全国農業新聞連載/上州アグリ100年ブランド戦略 Ⅷ

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★強豪がひしめく首都圏市場
★百貨店頼みはブランド逸脱


 農業者の中核能力「土づくりや栽培技術」を向上し続けることこそ、生き残るための唯一の手段――そんな視点から生まれた「100年ブランド化」構想ではあったが、もちろんこれだけで④の「仮定仮説」が完結したわけではない。

 仮に、近い将来、自ら目標とした「100年ブランド化」の品質条件を満たすような高品質が達成できたとしても、今度はそれをどんなエリアで、どんな形態で販売していくのか…。

 そうしたことも「仮定仮説」では検証していく必要があるのだが、このあたりで大方の人が陥りやすい発想――それが「首都圏へ進出しさえすれば…」という幻想だろう。

 首都圏とは大消費地であると同時に、ブランド化という点でも全国からトップレベルが集積する高感度市場だ。つまりは強豪ライバルがひしめく「レッド・オーシャン」(血の海)という意味である。 

 そんな強豪ライバルたちに、おいそれと勝てるほどの高品質がそう簡単に達成できるとも思えない。仮に、首都圏の著名な百貨店を窓口に高級感を装って売り出したとしても結果は同じだろう。品質で劣っていればすぐに売れなくなるし、売れ続けたとしてもそれは「百貨店のブランド力」であって、商品自体のブランド力ではない。

 しかも、そんな場合の小売価格はたいてい生産者側が決定権を持ち得ず、百貨店側がその決定権を掌握してしまう。これではブランドの基本条件からも逸脱することになり、それだけで「ブランド失格」だろう。

 …いや、それよりも以前のハードルとして、「首都圏という大消費地に応えられるだけの出荷量が確保できるのか?」という問題に直面するはずだ。

 ブランド化とは、その品質基準を高くすればするほど生産・出荷できる量が少なくなる。首都圏で販売するのに、1品目3,000や5,000の単位では「大海原に針を落とす」ようなもので、一瞬の話題は取れても、たちまち情報の波に飲み込まれてしまう。

 結局、「首都圏へ…」という発想は、検証すればするほど、それが幻想であることを浮き彫りにする。
ならばどうするか…。
 
 再び③の「自己分析」に立ち返って自ら持つ経営資源や組織能力の「真の実力」をしっかり考察することだ。自らの身の背丈にあった「仮定仮説」はそこから自ずと見えてくる。(つづく)

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2018年度全国農業新聞連載/上州アグリ100年ブランド戦略 Ⅶ

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★「消滅の危機」にある地方経済
★「100年ブランド」の意義とは


 前々回、前回と「首都圏進出の幻想」を描いてきたが、話を本題に戻そう。

 「上州アグリ100年ブランド協議会(奈良哲男会長)」が目標に掲げた「100年ブランド化」と「半径30kmの地域経済圏確立」、二つの戦略的意義とは何だったのか。
 それは戦略発想体系の①から④あたりを検証していけば、容易に説明がつくだろう。
 
 まずは①の「環境変化」だが、この際、農業だけに留まることなく、「地域産業」という視点から地域の――特に中山間地域の環境を眺めてみたい。その現状はどうなのか…。

 農業の疲弊ぶりはすでに周知の通りだが、商業もコンビニや近隣の大手スーパーにパイを奪われ、なおかつ過疎化で地元の消費人口は縮小するばかりだ。

 工業も下請け・孫請けが大方で、東南アジアに取って代わられようとしているし、観光業も特色のない飲食提供で時代に乗り遅れ、格安旅館チェーンの進出にも脅かされている。

 要するに、産業間の地域連携はなく、バラバラに衰退の一途。このままでは農業のみならず、地域そのものが「消滅の危機」に直面しそうな状況だ。

 だからこそ今、地域の農商工観光は一丸となって危機感を共有し、次代を模索すべき時代なのだが、残念ながら官・民揃って戦後から続く「業界の縦割り意識」は厚く、そうした動きはほとんど見当たらない。

 …ならば、せめて地域間の農業だけでも、と結束したのが②の「行動単位」に当たる同協議会だった。

 だが、③の「自己分析」で、この組織が所有する経営資源(ヒト・モノ・カネ)を眺めてみれば、それはあまりに「非力」である。

 昨今浸透するAI・IoT活用の先端農業や、個人間取引のパーソナル・マーケディングに取り組むほどの才覚や資力はない。
 メーカー品に太刀打ち出来るような6次化に取り組むほどの嗅覚やアイデアもない。温暖化で全品目に勢いを増す北海道に対抗できるほどの量産化も不可能…。

 残る手は何か。
 会員個々が持つ中核能力、つまりは農業人としての原点的な技能――「土づくりや栽培技術の向上」による品質で勝負するしかないだろう。

 しかも、それを「永久の努力」として持続することこそが生き残る唯一の手段――そんな思考から、④の「仮定仮説」で生まれたのが第一の「100年ブランド化」だった。(つづく)

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2018年度全国農業新聞連載/上州アグリ100年ブランド戦略 Ⅵ

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★全国の強豪が集中する首都圏
★地域No.1の実力あってこそ



 「首都圏開催の販促会や商談会に出展する」とは、つまり「首都圏方面に販路を開拓する」という願望の現れなのだろうが、そうした指導機関や生産者を見るにつけ、いつも思うのは「あまりに安易すぎないか」という危惧である。

 これと似たような一例を示そう。北関東の地方都市近郊でトマトを栽培する農業法人Aの話である。

 代表者のA君は40代前半。20年ほど前に就農して以後、高設施設を導入してトマトの水耕栽培に乗り出した。
 
 以後、施設を徐々に拡大し、今では大玉トマト70a、ミニトマト20a栽培。生産量の半分は市場系統、半分は地元の中堅食品スーパー(以下SMと略)に出荷(直販)している。
 
 そんなA君から受けた相談が「地元SMへの出荷をやめて、首都圏方面の中堅SM出荷に切り替えたい…」という話だった。 

 聞けば、地元SMには地元のライバル法人Bもトマトを出荷していて、最盛期になると、なぜかA君の出荷品は隅に追いやられ、Bの出荷品が売り場の前面を占めるようになる。それが面白くない。だから首都圏方面に鞍替え――というような内容だった。

 「品質では負けていないのに…。売り場担当者の目は節穴」とA君は決めつけたが、本当だろうか。
 
 疑問の一つは品質だ。顧客満足を最優先しなければ生き残れないSMが、何の理由もなくBのトマトを優先するとは思えない。
 
 二つ目は――これが本論なのだが、地元で勝てないようなトマトを首都圏SMに持ち込んでも、また別のライバルが現れれば、同じことの繰り返しになるのでは――という疑問である。

 戦略発想は「自己分析」することから始まる。なぜ地元で、地元ライバルに勝てないのか。品質も含めた全体の戦術を再検証し、すべての面で「ライバルに拮抗するくらいのレベル」にまでアップしなければ、どこに販路を求めても、いずれは敗退することになる。

 逆に言えば、地元でトップになるほどの実力が備わってこその「首都圏進出」である。なぜなら首都圏とは、全国各地から強豪が参集する「超高度な土俵」であり、それらに対抗して生き抜く必要があるからだ。

 そうした現状を理解しないまま、漠然と「首都圏に出さえすれば…」と願望抱く指導機関や生産者の、なんと多いことか…。それは戦略の基本を知らない者の幻想と言うしかない。

2018年度全国農業新聞連載/上州アグリ100年ブランド戦略 Ⅴ

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★自ら生産し加工し販売する
★整合性ある体系的な戦術へ



 従来的な市場出荷、もしくは2000年頃から普及した大手加工・流通業者への直販(契約)に、地道な戦略発想など不要だったろう。
 
なぜなら買い手の指示通りに生産すればコト足りたからだし、あとは産地化というスケール・メリット狙いの物量志向(コストリーダーシップ)を持ち込めば十分だったからだ。

 だが、昨今の6次化…いや、遡れば15年ほど前の経営構造対策事業でも、本質的にめざした目標とは、そうした物量志向とは一線を画するものだった。

 それは「自ら生産し加工し販売する」――つまりは製造販売業的に、生産者自らが生産・加工・流通・販売のラインを一元的に管理して、その過程で生じる付加価値を自らの管轄下に置き、新たな収益を確保すること――だった。

 ゆえに必要となったのが商品・加工・生産・販売・情報などの各戦術を「整合性ある体系的な戦術」として綿密に計画する地道な戦略発想だったはずだ。

 だが、そのことを理解した人はあまりに少ない。
 大方は、加工や直売という特定の戦術だけに囚われて、「整合性ある体系的な戦術」など眼中にないようなような、片肺飛行的な事業をくり広げた。

 おそらくは、指導機関が促すのだろうが――たとえば、6次化で加工品を開発した生産者が、唐突にもその在庫を首都圏の販促会や商談会に持参して、販路を全国に求める――などは、まさにその例であろう。

 「自ら生産し加工し販売する」を前提とした地道な戦略発想で考えるなら、まずは自己分析だ。
 
 自らの能力を検証し、その範囲内で実践できそうな商品開発や生産量、対象エリア、販売手段……それが想定できれば、顧客対象は見えるし、顧客対象が限定できれば、そこに潜在するニーズも、またライバルになりそうな商品や組織も自ずと想定できる。

 そうしたニーズやライバルを念頭に、第一歩の事業を仮定仮説で構想し、この仮説が通用するかを情勢判断して、実践可能ならば、これを第一段作戦に「整合性ある体系的な戦術」を具体化する。そのうえで、将来的な作戦・戦略を構想していく――のが、ここで言う戦略発想の手順になる。
 
 「首都圏開催の販促会や商談会に出展する」とは、その段階で戦術のすべてが整合性を持って「全国レベルに通用する」と、当事者たちが判断したことを意味するのだが……果たして本当だろうか。 (つづく)

2018年度全国農業新聞連載/上州アグリ100年ブランド戦略 Ⅳ

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★半径30kmの地産地消経済圏
★区域を越えて不得手を補完


 絵に描いた餅のような、「地産地消」の超低普及度…その解決策に浮上したブランド力の強化とは…。

 たとえば、中山間地域なら――過疎化で地元に消費者がいないのだから、首都圏から人を呼び込むしかない。
 地域内の自然環境や観光要素と合わせたブランド化の情報発信で「遠方客」を誘い込み、ついで買いを促す。それがこの地域の戦術になっていく。

 一方、平坦地域なら――地域内に自慢すべき自然環境や観光要素がないのだから、ブランド化の情報発信だけで「遠方客」を呼び込むのは難しい。
 だが、地域内には多くの消費者がいる。ブランド化の情報発信をきっかけに、地元にも多くの地場産品があることを「地元客」に訴求して、「地産地消」の普及度を高めるしかない。それが、この地域の戦術になっていく。

 前回に掲げた図Ⅱとは、そのことを示していたのであるが、この図Ⅱの状態をさらに推し進めて、中山間地域と平坦地域が誘客や販売の機会を相互連携して実施したらどうなるか…。
 
 そんな視点に基づいたのが、図Ⅲに示した「半径30kmの地産地消経済圏確立」という構想だった。
 中山間地域がブランド力の強化で首都圏からの消費者を呼び込んでも、距離的な問題から、それは自ずと土日に限られるだろう。

 一方、平坦地域では、ブランド力の強化で地元消費者を確保できても、自然環境や観光要素がないから、土日に首都圏の人々を呼び込むまでには至らない。

 そこで、相互乗り入れで誘客や販売の機会を創り、中山間地域は「平日・地元客」を、平坦地域は「土日・遠方客」を確保できるよう、区域を越えて不得手を補完し合う――。

 それが「半径30kmの地産地消経済圏確立」という構想で、30kmとは要するに「車で1時間程度の移動距離」を意味している。

 もっとも、こう単純に書いてくると、いかにも思い付きのような構想と受け取る読者も多いだろう。
 だが、それは理論上「地域農業が取るべき戦略」にすべて合致している。

 次回からはもう一度、原点に返って「地域農業が取るべき戦略」という視点から、「上州アグリ100年ブランド協議会」の存在意義を説明していきたい。

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