2020年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側Vre2020」Ⅶ

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■消費者は立体的に価値判断
■消費動向や商品傾向で変動



 読者からの問い合わせに答える形で前々回、前回と「②組織編制」について書いてきたが、今回より連載の流れを本題に戻して、「③自己分析」「④仮定仮説」に続く大事なプロセス「⑤情勢判断」から書き進めていくことにしよう。

  …で、この「情勢判断」なのだが、簡単に言ってしまえば――「仮定仮説」で浮上したいくつかの仮説案を順次抽出して、その対象エリアや販売形態に該当するニーズ及びライバルと「三つ巴」で照合しながら、できるだけ「ニーズがあってライバルが少ない仮説案」を見つけだしていく作業――となるが、実際には口で言うほど簡単にいかない。

 なぜなら、対象エリアの消費動向や商品の傾向、業界や業種業態の成熟度によって、ニーズとライバルは「立体的」な視点から検証する必要があり、また、それに応じて臨機応変に仮説案を改良していくような場合も生じるからである。

 「立体的」とは――まず、ニーズの面で言うと、昨今の消費者の価値判断「物理(物量や価格)」「知性(品質や機能)」「心理(感覚や感性)」という三方向を指しており(図参照)、その重心は消費動向や商品の傾向によって微妙に変化する。

 対象の消費動向がハイレベル、あるいは商品の傾向が非日常的なら「物理<知性<心理」になるし、逆に消費動向がローレベル、もしくは商品の傾向が日常的なら「物理>知性>心理」といった重心配置になる。

 したがって仮説案が「観光地域の道の駅などでの販売」を想定しているなら――対象は首都圏から訪れるハイレベルな消費者が多く、求められる商品の傾向は非日常的だから、物理的よりは知性的、さらには心理的に重点を置いた商品化が必須になっていく。

 商品にまつわる「物語」とか、デザインによる「お洒落感」とかは、まさにその心理的価値を指しており、そうした商品化まで可能ならば、その仮説案は「情勢判断」において「ニーズ面をクリア」という結論に達する。

 あるいは仮説案が「地方都市の直売所やスーパーでの販売」を想定しているなら――日常的な生活必需品を求める消費者が大半なのだから、心理的よりは知性的、さらには物理的な価値に重点を置くことが必須で、仮説案でもそうした商品づくりを想定していなければ、「ニーズ面をクリア」するには至らない。

 もっとも…こうした推論は仮説案をニーズに照合しただけの話であって、ライバルも含めた「三つ巴」の照合となると、ライバル面の「立体的」な検証まで必要になるからややこしい。(つづく)

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2020年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側Vre2020」Ⅵ

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■不満や不信を口にする農委も
■一握りの特権階級が役員に?


 もちろん役場内にはこうした第三セクター(以下「当社」と略)のあり方を問題視する職員もいた。
 だが、その頃にはすでに役場内でもB派閥になるか否かが人事に大きく影響するようになっていため、みんな「見て見ぬふり」…そんな状況が6~7年も続いたのである。

 しかし、時がたつにつれて当社や役場の実態も徐々に表面化。これを問題視する町民も増加し、近年の町長選で当社の「正常化」を掲げる新人が登場すると、B町長はついに敗退…。

 その後、この新人の采配で当社の人事も大幅に改革され、また、独断専行の歯止めとしてトップには一人が営農販売の、一人が施設運営の経験者という二人体制が敷かれた――これが現在の当社で、真の正常化へと歩めるかどうかは「これから」になるのだが…。

 ともあれ、この事例で明言できるのは、第三セクターという特殊組織であっても「地域農業の活性化」という目的を考えれば、それは農業関連組織の一つと言えるだろうし、また、そうした組織のみならず町政までも含めて地域リーダーの選出を一歩間違えれば、いかに「果てしない泥沼」を生み出すか…それをご理解いただける格好の材料であることは確かだろう。

 極端な事例ではあるが、これを反面教師として読者も周囲の農業関連組織をいま一度、検証してほしい。

 たとえば、いちばん身近にある、真の「地域リーダー組織」とも言うべき農業委員会はどうだろうか。

 耳を傾ければ…委員・役員の選出や組織運営に不満や不信を呈する委員がいる。しかも、そんな声を聞き出すのにさほど苦労しないのだから、組織としては何らかの不条理なことが生じ始めているのでは…と推察せざるを得ない。

 また、「高齢化」を懸念する委員もいる。確かに農業という限られた世界での選出だからそうならざるを得ない地域もあるだろうが、委員会には「地域農業の将来を支えていく」という役割も託されているのだ。

 簡単に「後継者不足なので…」と片づけるのではなく、どうしたら若手が確保できるか、若手を将来の農業委員にどう育成するか。そんな視点を持って運営することも「地域リーダー組織」の重要な役割だろう。

 …翻って、同じような立場にある他の農業関連はどうだろう。たとえば、「役員になれるのは一握りの特権階級だけ」という組織さえ一部にはあると聞く…が、それが事実なら真に「地域農業のための組織」と言えるのかどうか、はなはだ疑問と言わざるを得ない。

 それにしても――筆者が聞いた不満や不信の声は他県でのことで、県内がどうかは知らない。「群馬では絶対あり得ない」と読者が断言してくれることを、ひたすら期待するのみである。

2020年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側Vre2020」Ⅴ

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■政治的工作や官僚的慣習?
■第三セクターC社の歴史とは


 「次回は情勢判断のウラ話から」――と前回に約束したが、訳あってまたも組織編制に立ち返り、述べることをお許し願いたい。
と言うのも、この組織編制に関しては昨今、読者からも様々に意見や質問が寄せられているからである。

 中でも多かったのは、昨年度の当連載⑧(2月14日掲載)に書いた一文「…理にかなった人材が真の(地域)リーダーとして選出されているのかどうか、政治的工作や官僚的慣習による選出さえ氾濫して…」に関する問い合わせだった。

 それは「具体的な事例があってのことか」という詰問にも似た指摘でもあったが、決して空想で書いたわけでもないし、この際だから、こうした指摘に応える意味でもその当時に筆者の心中にあった事例の一つを披露することにした。

 ただし、時系列で追わないと理解しにくい面も多々あるため、今回と次回の二回にわたって詳細に書くが、読者にはぜひ最後まで読んでもらって、これを他山の石にしてほしいと思う…で、その事例とは――A県の山間部にあるB町の第三セクターC社の話である。

 今から二十年ほど前にB町では「地域農業の活性化」を目的に町内に大規模な販売・飲食拠点を整備した。
 その運営会社として設立されたのがC社で、オープン当初は「開店人気」もあったせいか、これが大いに当たってB町にも多額の寄付をもたらした。

 だが、失敗の始まりは、C社のトップが当時のD町長と「親しい間柄」という理由
を背景に採用されたことだっただろうか…。

 いつしかC社は黒字を良いことにD町長の言いなりで、本業とは無関係な無謀ともいえる新規事業に次から次へと着手。その頃から資金繰りの不透明さも指摘されるようになった。

 そうした放漫経営が続いたためか次第にC社は赤字に転落。これが次の町長選に反映したようで、D町長は落選し、新たなE町政が誕生すると「C社の正常化」を理由に旧来のC社トップは解任となり、新たなトップが採用された。

 だが、「地域農業の活性化」の方針とは無関係に、新たなトップとして採用されたはE町長の古くからの友人。次いで二人目、三人目のトップは、共にE町長の右腕として役場に君臨してきた幹部職員の退職者…。

 さらに、こうしたトップの配置は、いつしかC社の社内人事にも色濃く反映するようになり、「E派か否か」という暗黙の判断から、組織に無用な逆淘汰や理性崩壊も生み出していった。

 当然、これで経営が好転するはずもなく、赤字はさらに膨張…「地域農業の活性化」など、遠い世界の出来事のような組織へと化していったのである。(つづく)

2020年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側Vre2020」Ⅳ

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■素人でも栽培しやすい品目を
■カフェを製造販売の拠点に


 岡目八目の自己分析で浮かんだ四つの要因――「本業は建設業」「本社・農地は著名温泉地から約10kmの立地」「温泉街のど真ん中でカフェを経営」「農業には素人の集団」――を繋ぐなら、こんな仮定仮説が浮上しても不思議はないだろう。

 ①栽培品目は素人にも栽培しやすく、機械化もしやすく、貯蔵も可能なサツマイモ。焼き芋や干し芋、芋餡に向く品種を導入。
 ②同社の敷地内に貯蔵施設や加工施設を整備し、加工事業にも着手。同社から温泉地への配送を担う冷蔵冷凍車も準備。
 ③建設会社の強みを生かして、温泉街のカフェをサツマイモ関連の製造販売拠点として稼働するカフェに自前でリニューアル。
 ④冬・春は焼き芋や干し芋やスィートポテト風の焼き菓子・揚げ菓子を、夏・秋にはアイス焼き芋やサツマイモベースのソフトクリームなど  をカフェで販売。
 ⑤カフェは直売機能も兼ね、生サツマイモの箱入りも物産として店頭販売。
 ⑥将来的には芋餡も加工し、浅草にあるような「芋ようかん」も商品化。

 おおよそ以上のようなイメージになるが、この際だから、仮定仮説に続く「情勢判断」→「顧客想定」→「戦略構想」にも立ち入って、簡単にさわりだけでも書いておくとしよう。

 情勢判断とは早く言えば、仮定仮説を「ライバル」「ニーズ」という視点から検証することだが、まずライバルという点では、温泉地を見渡す限りサツマイモ関連の商品を提供する店舗はない。強いて掲げるなら名物の温泉饅頭だが、「地場産の新・名物」をキャッチに売り出せば、新たな市場を獲得することは決して不可能ではないだろう。

 一方、ニーズという点では、温泉街を闊歩(かっぽ)する観光客に温泉饅頭やソフトクリームがよく売れているのだから「300円前後の食べ歩きニーズ」は十分にあると考えてよい。

 結果、顧客想定は年間で300万人の観光入込客の中でも「浴衣姿で温泉街を闊歩したい滞在型の温泉客」となり、第一段作戦の商品としては、シニア向けに焼き芋・干し芋、ジュニア向けにスィートポテト風の焼き菓子やアイス焼き芋…といった具合になる。

 そして将来的にはこれら現代的な商品から区分して「芋ようかん」や「芋和菓子」も商品化、「古典的ブランド」として訴求していく――というのが戦略構想の目標になっていく。

 …とは言え、「情勢判断~戦略構想」へのプロセスはここに記したほど簡単ではないし、筆者の描いた構想を当社が信じて実行したかも確かめてないから知らないが…それはさて置いて、次回はそのプロセスの冒頭にある情勢判断の「ウラ話」から書いていこう。


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2020年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側Vre2020」Ⅲ

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★軟弱野菜を首都圏市場に出荷?
★建設会社が掲げた構想とは?


 岡目八目とはよく言ったもので、自己分析を当事者自ら行うと、肝心なことを見落としてしまうことが多々ある…そんな事例を、もう一つ紹介しよう。

 当事者は、年間300万人もの観光入込客が訪れる全国有数の温泉地からほぼ10kmほどに位置する中山間地域の町で、建設業を営む中堅会社である。

 そんな当社にある時、役員の一人から、当人の実家に関わる相談話が持ち込まれた。役員の実家とは、同じ町内にあって畑地約1.5haを所有する農家である。だが、後継者がおらず、高齢となった両親が廃業すれば、耕作放棄地になることは必至。「…もったいないから、この農地を会社で借り上げて農業参入してはどうか…」という内容だった。

 おりしも「異業種からの農業参入」がブームになり始めた頃。当社では二つ返事で農地を借り上げ、新規に参入することを決定。その後、栽培する品目や販売先の開拓などを研究した。 

 で、結果的にたどり着いたのは「ホウレンソウや小松菜などの軟弱野菜を栽培して、首都圏方面の市場に出荷していく」という構想(仮定仮説)だった。

 筆者が当社の代表者にお会いしたのは、当社がその構想を具現化しようとする矢先のような時だった。

 高齢化や後継者不足にあえぐ日本農業。たとえ異業種からの参入であっても、耕作放棄地の拡大に少しでも歯止めがかけられるなら願ったり叶ったりの話。

 だが、農業には素人の集団がそう簡単に農業を始めて成功するのか否か…。

 軟弱野菜の栽培となれば、それなりに高度な技術やノウハウが必要になるだろう。首都圏方面への出荷となれば、全国のプロ農家と競うことになり、それにせり勝つだけの力も必要だ。

 それならば、素人でも作りやすい品目の栽培から着手した方が良いのではないか…。いきなり首都圏方面への出荷で勝負するよりは、もっと身近で、ライバルの少ないエリアで勝負できる方策はないのか…。

 そんな疑問を代表者にぶつけながらいろいろと会話しているうちに代表者の口から意外な話がこぼれた。 

 同社は副業で例の温泉地に、しかも、その温泉街のど真ん中に店舗を構えて、昨今流行のカフェを経営していると言うのである。

 それを聞いた瞬間、筆者が思いついた仮定仮説は、同社が描いた構想とはまったく違うものだった。

 「本業は建設業」「本社・農地は例の温泉地から約10kmの立地」「温泉街のど真ん中でカフェを経営」「農業には素人の集団」――当社とは違う視点の自己分析で、浮かぶこれらの要因を繋ぐなら仮定仮説もまた別のものになっていく。果たしてどうなるのか――それは次回に紹介したい。(つづく)

2020年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側Vre2020」Ⅱ

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★都会的でお洒落なパスタ風?
★6次化でお門違いの失敗作



 コロナ禍も5月下旬、非常事態宣言解除になったので、「有事のリーダー論」は第二、第三波の際にでもさせていだくことにして、当連載の本題を「③自己分析」から書くことにしよう。

 ただし、この③は次の「④仮定仮説」とも直結する事項なので、読者には「③④合わせたウラ話」と受け止めてお読みいただきたい。
 
 で、その自己分析なのだが――筆者のセミナーだと時間の都合から「人・物・金や技術・技能、社風・歴史などの経営資源をよく見極めて…」などと簡単に流してしまうことが多いのだが――実際に当事者がやるとなると、けっこう難しい。

 岡目八目で第三者には見えても、自らでは肝心なことを見落とすケースが多々あるからで、そんな事例をいくつか紹介しよう。

 まずは、中山間地域A町の米麦農家の話だ。A町の南は人口50万人の県都B市、西は世界的に著名な旧跡があるC市で、一年を通じて地元客も観光客も流れてくるのがA町である。

 そこで米麦30haほか餅米・大豆を生産する一方、加工直売にも熱心で長年「赤飯・おにぎり・稲荷・太巻き・餅菓子」を周辺の直売所に出荷する大家族農家だ。 

 そんな当家が、昨今の6次産業化で「アレルゲン不使用の米粉麺」(半生麺)を商品化した。だが、当初から鳴かず飛ばずで、「在庫を抱えて困っている」といった相談での訪問だった。

 商品を確認すると、包装は都会的でお洒落なパスタ風デザイン。価格は1パック二人前入り六百円――。一見して観光客狙い…と思ったが、もしそうならサイズと価格が中途半端だ。お印用の三百円前後か贈呈用の千円以上かに振り分けるべきだったろうに…。

 だが、当事者に聞くと「アレルギー児童にために作った商品」と言う。ならば、子供受けするような可愛いキャラクターでも採用した包装で、サイズも子供向けにすべきだったろうに…。

 いや、どっちにしても、これでは後の祭りである。自己分析で大事なこと――それは当家が旧来の米麦農家で、米や餅の加工直売も熱心に継続しているという歴史的な経営資源――を見落としたゆえの結果だろう。 

 その話を聞いた時、筆者がすぐに思い描いたのは、新たな商品化で「団子」、将来目標で「峠の田舎茶屋」という、仮定仮説だった。

 団子なら米粉がそのまま活用できるし、「赤飯――」のラインナップに田舎の団子数種が加われば、茶屋のメニューがほぼ出揃う。それに、いずれ自宅や納屋を改装するならB市の地元客やC市の観光客を呼び込む「峠の田舎茶屋」を作ることも決して夢ではない…。

 それは奇想天外でもなく、単に当家の歴史を少し発展させただけの「自己分析→仮定仮説」なのだが。
 
 6次産業化と言うと「加工品を作ること」、それ自体が目的になってしまうか。自己分析をお座なりにして自らの経営資源とは無関係な「お門違いの失敗作」を生み出す…これは、そんな事例の一つと言えるだろう。(つづく)



2020年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側Vre2020」Ⅰ

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★リーダーの真価問うコロナ禍
★危機感ゼロで傍観の自治体も




 当コーナーは昨年度に引き続き、「戦略論のウラの裏側」を継続することになったので読者には約束通り、戦略発想体系「③自己分析」からの裏話を伝えるつもりでいたが、世の中見渡せば、今はコロナ禍一色…。

 まさに「有事」とも言える事態で、こんな時こそリーダーの真価も問われてくるのだが、国や地方自治体の対応を見るにつけ、「真のリーダー不在」を痛感せずにはいられず、蒸し返しになるが、昨年度に書いたリーダー論に再度、触れることをお許し願いたい。

 まず、真のリーダーには何が必要だったか――昨年度、クラウゼヴィッツの言葉を借りて、こう書いた。「…断片的で不確実な情報氾濫の中にあっても、全体の真相や未来を一瞬にして看破する眼力や想像力、そして即断即決できる決断力が必要である…」

 これに照らし合わせて考えるなら――パンデミックが騒がれた二月以降。欧州には即応して生命第一の戒厳令を発し、果敢な経済策を打ち出す国があった。東アジアには過去の経験値から準備を整え、医療体制も万全で臨む国があった。

 日本はそんな先例を見ながらも、都道府県が騒ぎ始めても、右顧左眄(うこさべん)するばかりで結局、非常事態を発したのは四月…クラウゼヴィッツが言う真のリーダーがいたならもっと早くに決断して、「遅きに失した」と揶揄(やゆ)されることもなかったろう。
 
 一方、地方自治体はどうだったか――三月早々から首長・行政・議会が一致団結して次々と手を打つ自治体があるかと思えば、感染者が続出する事態になっても何一つ動かず、関連情報も発せず、ひたすら傍観するだけの自治体があった。
 
 しかも、それらが重い腰を上げたのは五月以降で、打った手も先行した自治体の物マネか、民間による支援策を自策のように取り繕う有様…テレワーク体制もないまま「職員の在宅勤務」だけはいち早く実行したようだったが…(苦笑)。

 そもそもコロナ対策で先行した自治体はこれに限らず、激変する今の時代を「有事」と捉え、平素から即断即決で独創的な施策を各方面で打ち出す。それは結局、真のリーダーが歴然と存在することを意味している。

 片や、傍観したままだった自治体はおおむね平素から意欲なく、緊張感なく、施策に独創性もなく、決断もなく…だから、これほどの「有事」に直面しても頭の中は依然として「平時」のままで、危機感の欠片さえなく…それはとりもなおさず、真のリーダーが不在であることを証明している。
 
 ――さて、読者が暮らす自治体はどうだったろう。いや、翻って読者が暮らす地域の農業界はどうだろう? ニーズも商流も激変する現在…それはまさに「有事」のはずだが、これに対応できるリーダーがいるのか否か。国や地方自治体の無様を他山の石に、もう一度よく検証してほしい。

2019年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側」Ⅹ

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★「臭いものには蓋」が横行?
★「諦めない自治体」も一部に



 
 今年度の連載は「戦略論のウラの裏側」と題して、筆者が平素の講演では話しにくい、地域農業の特殊な事情や本質的な課題を戦略発想体系に沿って全般的に書いていくつもりだった。

 だが、書き進めていくうちに、戦略発想体系の「①環境変化」から「②行動単位」の間に潜む「ウラの裏側」があまりに多すぎて、「③自己分析」以降に進めないまま、最終回を迎えてしまったことは誠に申し訳なく、読者には深謝するしかない。

 ただ、①~②の間にある問題は地域戦略の最終的な成否を決する重要部分であり、否応なし筆者も神経質にならざるを得なかったというのもホンネである。

 その理想を書けば――まずは地域の政治的環境を正常化し、無責任体質の集権制や平等意識を排除し、真に才覚ある人材をリーダーに組織編成する――となるが、筆者の経験から言うと、大方の地域がこうした重要課題の抜本的な解決を避け、「臭いものには蓋」で回避したままハード事業の整備だけに執着してきた…と受け止めざるを得ない。

 かつての経営構造対策事業が地域に戦略的な波及効果を生むことなく、各地ともに「いっときの打ち上げ花火」で終わったのも究極的にはそこに原因がある。

 経営構造対策事業は情報収集や地域合意形成などソフト事業も十分に用意された施策であったのに、その戦略的な価値と体系を理解せず、政治的・組織的な課題を克服することもなく、「集出荷・加工・直売・飲食・宿泊」といったハード事業に心奪われ、思いつくまま自らに都合よく、しかも単発で何の脈絡もなく断片的に導入整備してきた、その結果であったろう。

 ゆえに、こうした「地域ぐるみ」を諦めて、先進的農家だけを「一本釣り」するように登場したのが今の6次産業化ではなかったか…。

 だが、それは「地域から個人へ」「面から点へ」と方針を大幅に後退させた飛沫的な作戦に過ぎず、十数年後には生産者の激減で消滅の危機にさえ直面しそうな日本農業にいかほどの効果をもたらすのか、はなはだ疑問と言わざるを得ない。

 だからこそもう一度原点に立ち返って、地域戦略を根本から――と言いたいところだが、多くの地域に「臭いものには蓋」の慣習が横行する限り、これもしょせん無理な話であろう。

 …とは言え、その一方には、戦略の本質を理解し、幾多の困難に悪戦苦闘しながらも諦めることなく、地域の戦略的活性化を地道に目指そうとする自治体が、ほんの一握りながら県内に存在するのもまた事実だ。

 いずれは、そんな自治体の紹介も含めて③以降の「ウラの裏側」を当連載で執筆できれば幸いである。







2019年度全国農業新聞連載「戦略論のウラの裏側」Ⅸ

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★地域リーダーに必須の資質
★「人材育成こそ」を理念に




 幅広い視野と見識、想像力や指導力を持つ人材こそ地域戦略のリーダーにふさわしい――それは大げさに言えば、大国に攻め込まれた弱小国がいかにしてこれに立ち向かい生き抜くのか、そんな戦いを指導するリーダーの才覚――にも通じるものがあるだろう。

 19世紀の戦略家クラウゼヴィッツは、その著書「戦争論」の第一篇・第三章「軍事的天才」で、戦略指導を司るリーダーに必須の資質を、「勇気と知力に満ちた人材であることが絶対条件」とした上で、「勇気と知力」を次のように解説した。
 
 まず、「勇気」とは「肉体的危険に対する勇気」と「精神的(責任)危険に対する勇気」の二つがあり、特に後者の勇気は「愛国心や名誉心に由来」するという。

 一方、「知力」とは理性や感情など精神力の複合性を背景とする「高度な知的能力」であり、要点を書くならば、それは――断片的で不確実な情報氾濫の中にあっても、予期せぬ状況に遭遇しても冷静さを失わない「自制心」、そして全体の真相や未来を一瞬で看破する「眼力」や「想像力」、即断即決できる「決断力」、さらには苦境に陥った際でも重圧に負けず、周囲をいっそう鼓舞する「意志力」や「不屈性」である――という。

 これを地域戦略のリーダーに置き換えるなら、後者の勇気で意味する「責任」とは「地域」に置き換わるし、「愛国心」は「ふるさと愛」になる。
 さらに知力は、これらの指摘がおおよそ当てはまることになるが、果たして、そんな人材が今の農業界にいるのかどうか…。
もちろん、戦争ではないから「そこまで完璧に」とは言わない。ただ、「それに近い人材」は存在する。

 筆者の狭い人脈の中から一人を例を掲げるなら、石川県農業会議の元職員・松本友信氏の推薦で知り得た、「㈱六星」(白山市)の元社長・北村歩氏(77)だ。

 今は高齢で引退したが、40年前にわずか5名で立ち上げた地域組織を紆余曲折ながらも「人材育成こそ地域貢献」を理念に、150名余を抱える地域農産企業に育てたリーダーである。

 こうした例が全国的にも極めて少ないのは、北村氏の存在がそれだけ「稀有」だったことを示すが、農業人口が激減する今後、そんな人材を農業界に求めるのはますます難しいだろう。

 ならば、地域の産業界にも広く目を向けて、理にかなった人材を発掘することも躊躇すべきではない。なぜならば、地域戦略の最終的な成否とは結局、「リーダーの才覚」いかんですべてが決するからである。


2019年度上州アグリ100年ブランド協議会主催の講演会で。左が北村歩氏、右は松本友信氏。
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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅷ

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★「+地域」という最終目的
★理に適うリーダーはいるか



 農業界が地域戦略で失敗する最大要因の「組織編制」――当連載ではその背景的な理由を数回にわたって書いてきたが、編制の際の「トップ選出」という点に関しては書き足らないことがあったので、再度、この件について触れておきたい。

 それは、言葉を換えれば「いかなる人材が地域戦略のリーダーにふさわしいか」となるが――ともあれ前段としては「改革への意欲に満ち、戦略の意義も理解する参画者が結集して曲りなりにも組織の構成員が決定した」と仮定しよう。
 
 当然、次の段には「誰をリーダーに選ぶか」という話になるが、連載5でも書いたように「年功序列」や「先任制」の発想による選出はすでに論外だし、自薦他薦による選出も安易に過ぎると言わざるを得ない。

 なぜならば、地域戦略は、個別の経営戦略と比べたら、自己分析や情勢判断の対象範囲や規模が圧倒的に大きくなるからで、それは「目的」の一つを取り上げても容易に理解できるだろう。

 個別の経営戦略なら「個人か組織の利益追求」でよいが、地域戦略は組織や構成員個々に加えて、「+地域」の利益追求も責務になってくるからである。

 「+地域」とは文字通り、産業振興や人材育成、果ては歴史文化や教育福祉、住民生活の充実など、地域全体の発展を意味している。早く言えば、地域農業を核にいかにして地域に幅広く寄与・貢献していくか――それが地域戦略の最終的な目的だと言って良い。

 ゆえに、戦略構想の中にも随所に「地域に対する寄与・貢献のための作戦・戦術」が含まれるから、いかに経営感覚が優れていようとも「自分本位」のような人物ではすでに失格だ。

 次代の環境変化を的確に予見し、構成員を統率しながら戦略・作戦・戦術を柔軟に指揮して、自組織や地域農業はもちろん、幅広く地域に寄与・貢献して全体的な発展を目指す――そこまでの視野と見識、想像力や指導力、意志力を持つ人材こそがリーダーに就くべきことを示している。

 そうした目で読者も、周囲で活動する地域戦略関連の組織や団体、第三セクターを眺めてみるといい…。理にかなった人材が真にリーダーとして選出されているのかどうか――残念ながら、政治的工作や官僚的慣習による選出さえ氾濫していて、その答えが決して芳しくないことを、筆者はすでに知っている。(つづく)

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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅶ

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★「得する人」と「損する人」に
★「逆淘汰」の組織腐敗構造



 一方、「アドバース・セレクション」で言う理論とは「逆淘汰」とも訳される組織腐敗の構図だ。
もとは保険業界から派生した用語らしく、たとえれば、こんな話になる。

  ――とある保険会社が「1日千円の掛け金で、治療費全額保証の保険商品」を販売し始めた。毎日病院に通う不健康な人にとって千円は安い。だが、いたって健康な人にとって千円は高い。結局、保険に入るのは不健康な人だけで、健康な人はいっこうに入らず、保険会社は「不健康な人に保証金を払うばかり」の事態に陥いることになる――。

 こうした状況を組織論に置き換えたのが「アドバース・セレクション」だ。

 たとえば、組織編成で人格に劣る者が役職者に就いた場合、いつの間にか役職者たちが自らの懐ばかりに利益を誘導し、それ以外の者はまったく利益にあずかれない、というような状況を生起することがある。

 これは、直売所の運営などでもよく聞く話で、役職者たちが「よく売れる場所」や「よく売れる商品分野」を独占してしまい、一般の出荷者には手を出させない、といった類の話だ。

 そのため、組織内には「得する人」と「損する人」が同居することになり、そのうちに「損する人」――中でも良い農産物を持ち込む意欲満々の出荷者は不利益を強く感じるから組織を去るし、逆にいい加減な農産物を出すだけの無気力な出荷者は何も感じないから、役職者たち(得する人)の言いなりになって組織に居残り続けることになる。

 要は、組織に居るべき「良い人」がいなくなって、組織に居なくていい「悪い人」ばかりが残るという「逆淘汰」の事態に陥るわけで、これがいずれは、戦略を頓挫させるような組織腐敗へと発展していく。

 モラル・ハザード(理性喪失)もその一つだろう。不平等を批判したり正論を言うような人をいじめたり、追い出したりしていく行為が組織内に蔓延していく…。
 さらには、違法な事業に手を染めるコンプライアンス(法令遵守)無視の温床にもなっていく…。
もちろん、これは農業界に限ったことではなく、行政・団体・民間すべてに共通する問題で、こんな腐敗状況では戦略遂行などぜったい無理な話なのであるが、さてさて読者の周囲に存在する事業や組織はどんな状況にあるだろうか? 

 「コスト」や「アドバースセレクション」の理論に照らし合わせてみれば、おそらくは、これに符合する欠陥事業や欠陥組織があまりに多く存在することに気づかされるはずである。


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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅵ

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★様子見から希望的観測へ
★一致団結しない「及び腰」




 「農業界独特の平等意識」と並んで、「組織編制」を阻害するもう一つの要因――「普遍的な心理」については、1990年代の戦略論などで提唱されはじめた「コスト」や「アドバース・セレクション」の心理的な理論でおおむね説明がつく。

 「コスト」とは――事業や組織の継続が危機的な状況にある場合、本来これを回避するために機構改革を早急かつ全面的に実施すべきなのだが、それには「物理的コスト」だけではなく、目に見えない「労力的コスト」も膨大に必要となる。

 たとえば、機構改革のための情報収集や改革構想の具体化、関係者への意識啓蒙や合意形成、周囲機関への目的変更届などだ。
 …ならば、いっそのこと、改革など諦めて「撤退・廃業」という選択肢も浮上するのだが、その場合、今度は「埋没コスト」の問題にも直面する。これまで投じたコストを「すべて無にする選択」だが、そうなれば、どこかの誰かが責任を問われるという問題も出てくる。

 結局、改革するにも膨大な物理的・労力的コストが必要だし、「撤退…」するにも膨大なコストが埋没するのだから、「それなら現状のままもう少し様子見で」という判断から「そのうち何とかなるかも」という希望的観測が生まれていく――これが「コスト」理論だ。

 たとえば、自治体が運営する「道の駅」があって、それが赤字続きであっても、いっこうに改善されないことがあるが、これも「コスト」理論で説明がつく。
 赤字の原因は大方、「設備が時代遅れになっているか」「事業内容が消費動向にマッチしていないか」であり、自治体でもそのことを十分に承知している。
 だが、改革するには膨大な労力的コストがかかるから面倒くさい。廃業を言えば、埋没コストの責任を問われる。だったら臭いモノには蓋で何もせず、「いずれは黒字になるかも」という希望的観測に流れて、赤字はさらに連鎖していく。

 農業界で戦略組織を編制しても、実際には構成員の多くが「様子見」になるのも、これと同じ心理だ。

 激変する環境や戦略の必要性は理解しても、これに対応するには自らの農業経営自体にも改革が必要で、それには各種のコストが必要だし、また、これまで学んできた技術や知識が埋没する可能性も出てくる。
 「だったら今のままでもいいかも…」という観測から大方が「及び腰」になり、深層心理では「一致団結しない(できない)組織」が出来上がる。だが、これではもはや「烏合の衆の寄り合い所帯」でしかないだろう。(つづく)


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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅴ

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★才覚とは無縁のトップ選出
★責任取らず居座る階層体質



 農業界では、創設する組織のトップを選ぶ際、本人の能力や見識よりも、「年功序列」や「先任制」のような発想から、年齢や経験の多さだけで選出されるようなケースが極めて多い。

 農村社会の閉鎖性も手伝って、「我こそは」と立候補する者もいないから、いや応なしにそうなることが多いのはわかる…のだが、仮に、次代のリーダーにふさわしい優秀な若き人材が構成員の中に存在したとしても、平等意識と唯我独尊が働いて、その力量を認めないし、認め合おうとはしないのが実情であろう。

 ゆえに、もっとも無難な年功序列や先任制――要するに誰からも文句が出ないよう、年齢や経験の多さだけで人選する慣習が暗黙の了解として連綿と続く。

 だが、年功序列や先任制が通用するのは「平事」だけで、曲がりなりにも地域戦略が必要になるのは激変する環境の中で地域農業の存在そのものが問われる、まさに「有事」の時なのだ。
 そして、その地域戦略とは、この「有事」にどう対処し、地域の弱小農家はどう生き残っていくべきなのか――その方策を描く長期ビジョンなのである。

 年功序列や先任制のようなトップの選出では、選ばれたトップ自身に、トップとしての才覚――たとえば、激変する「有事」を的確に分析し、未来を戦略的にイマジネーションする能力や見識――が、真にあるのかどうかは極めて疑わしい。

 むしろ年齢や経験の多さが邪魔をして、「平時」だった過去の成功体験に囚われ、時代錯誤の指示をくり返し、戦略そのものが頓挫する結果にもなりかねない。

 加えて、こうしたトップには「全員の評決で選ばれただけだから」という言い訳がつきまとい、「組織の全責任を負う」という自覚もないから、仮に組織が動かずとも、作戦で失敗が生じようとも一切責任取ることなく、その後もトップの座に座り続ける…という階層体質がまかり通る。

 ――さて、前回と今回とで「農業界独特の平等意識」が組織編成でいかなる弊害を生み出すか理解していただけたかと思うが、それにしても、こうした意識や慣習の元をたどれば、それは農協の組合法に行きつくのでは…とも推測するが、ともあれ、こうした平等意識や慣習を一掃しない限り、戦略の組織編制など、土台、無理な話だろう。

 組織編成する際には、構成員の全員が、まずは「組織とは何か」「階層性とは何か」「役割と任務とは何か」「真のリーダーとは何か」を共通認識としてしっかり学ぶこと――それが第一歩であると断言するしかない。
(つづく)






2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅳ

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★独特の平等意識と唯我独尊
★スタッフの自覚無き構成員



「政略」に並んで、戦略が失敗するもう一つの最大要因「組織編制」――そこには大きく分けて「農業界独特の平等意識」と「普遍的な心理」、この二つに起因する落とし穴が見られるが、まずは前者について、今回と次回、詳細に述べたい。

 組織編成時に「農業界独特の平等意識」が阻害するもの…それは一口に言うなら「階層性」である。
 通常、いかなる組織でも編成と同時に、おおよそトップ(大将)・ブレーン(参謀)・スタッフ(兵卒)といった階層性が決定される。
 また、それによって各自の役割と任務も明確化し、階層性による指示系統の下で一致団結しながら、戦略・作戦・戦術を柔軟に実践していくのが「組織本来の姿」ということになろう。

 だが、農業界の場合、こうした行動組織を発足するために参画者が集まったとしても、この階層性を決める人選段階で早くも躓く。
 平等意識が強いから、上・下の序列を決定づける階層性そのものにアレルギー反応を起こしやすい。
 加えて、家に帰れば全員が「社長同然」だから、平等意識とは裏腹な「唯我独尊」の意識も強く、それが互いにけん制し合うような感情にも発展するのか、余計に人選が困難になる。

 いや、仮に「全員の評決」でなんとか人選して階層性の上・下をどうにかこうにか決めたとしよう。だが、それでも次のような問題が残ることになる。

 それは、各ポジションに与えられた役割と任務を、各自が本当に理解しているのか、という問題だ。

 たとえば、階層性の末端を担う実働部隊のスタッフ――つまりはトップから指示を受ける大部分の構成員であるが――このスタッフたちに「部下としての役割と任務を果たす」という自覚があるかと問えば、「ない」と言った方が正しいだろう。

 表面的にはトップの指示に従うように見えても、いざ本格的な実動段階になると、何を命じても「多忙」や「都合」を理由に動かない。動くとすれば、それは自分にとって「目先の利益」が見える戦術実施の時だけだ。

 ふだんから「社長同然」で、誰かの指示で動くといった経験がなく、すべての判断と行動は自己決定するという習性が身についているから、そうした状況になるのもやむを得ない面かもしれないが、しかし、この意識レベルが続く限り、永遠にスタッフとしての役割と任務は果たせない…。
 
 さらに、こうした意識の問題は、組織を統括すべきトップにも及ぶ。トップとしての役割と任務を自覚する人物が本当に選ばれているのかどうか――という問題である。(つづく)

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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅲ

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★地域の存続さえ危い環境?
★農業の活性化掲げる政局を




 農業戦略が失敗する最大要因の一つ「政略」についてだが――まずは、そんな政略などとはほど遠く、地域の存続さえ危いような状態にある政治的環境を以下に掲げてみたい――。

①「怨念」渦巻く政争の地域
 二大政治勢力が対立し、政争の怨念が渦巻く地域。政権の取り合いで首長が目まぐるしく入れ替わり、その都度、現職が前任の実績を全面否定。ゆえに長期スパンの戦略が推進されていた場合、政権交代時につぶされる。要は「足の引っ張り合い・つぶし合い」で、こうした政争は「首長vs議会」に変化する場合もある。

②「いい人」選ぶ妥協の地域
 群雄割拠の政治勢力で団結しないが、政局を決する首長選では各勢力の既得権益を侵さない点で一致し、妥協の産物で「(どうでも)いい人」を選ぶ地域。首長に哲学や理想もなく、各勢力の権益を干犯しないように政局を運営するだけだから進化なく、時代とともにガラパゴス化していく。

③緊縮財政「呪縛」の地域
 緊縮財政を金科玉条のごとく掲げて、首長が新規の施策を却下し続ける地域。ムダ金の排除はよいが、その呪縛が長年続くと、「何もしなくて良い行政」「働かない行政」が恒常化してしまい、いざという時に政局が新規事業を提案しても、行政そのものがまったく動かなくなっている地域。

④「後継者<」の地域
日本人の特質なのか、経営も政治も、後継者には自分より劣る人材を選択するケースが多々。ゆえに首長や議会が代を重ねるたびに「小なり」(小粒)へと変貌。時代の進化についていけず、徐々に発展から停滞、低迷へと転落していく地域。

 ――ともあれ、こんな政治的環境にあるならば、地域の将来を語るどころか、行政マンにも「やる気ゼロ」「面従腹背」が蔓延して、早晩に地域は崩壊する。

 地域を存続したいのなら、まずは根本からこうした環境を浄化し、次代を見据えた住民本位の政局と行政を作ること…それが先決だ。
 その上で、農業戦略の前提となる政略を講じるとするならば、「農業の活性化」「農を核とした地域連携の産業創出」を第一義に掲げるような人材たちで政局を固めていくことだろう。

 もちろん高齢化や少子化で老人福祉や子育て支援も大切だが、地方政治もしょせん地域産業あっての話。経済的な裏付けがなくては単なるバラマキに終わる。

 理性ある政治的環境の下で産業振興…中でも農を核とした地域産業の振興を掲げる政局を創出すること…それが農業戦略の前提としての政略になってくる。

 さて、読者の地域はどんな政治的環境だろう? 政略が講じられるようなレベルにあるのかどうか…まずは、それを見極めることから始めてほしい。





2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅱ

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★農業界に戦略など不要?
★失敗要因は政略か組織に


 もう五、六年前にもなるだろうか、首都圏のとある著名大学で開催されたシンポジウムでの話である。
 壇上には筆者を含めたパネラーが数名。各自持ち時間20分間ずつで地域農業活性化への持論を順番に披露し、その流れで筆者も戦略論の概要を話した。

 ところが、パネラー最後の真打で登場した某大学の名誉教授が、自ら関わる地域のイベント事例を話した後、唐突にもこんな発言を付け加えたのである。
 「…最近、農業界でも戦略を言う人が増えましたが、ほとんど成功せず、失敗に終わっています。農業界に戦略なんて不要。農業者たちには、戦略なんかより、すぐに取り組めるような『小手先の戦術』だけ教えればいいんですよ…」

 残念ながら構成の都合上、これに反論する機会はないままにそのシンポジウムは閉会してしまったのだが――あまりの発言内容に唖然となってしまった。
 「農業者たちには『小手先の戦術』だけ…」という言い方はあまりに農業者を馬鹿にしていないか…。
 いや、それ以上に唖然としたのは、失敗の要因を明らかにしないまま「戦略は失敗…不要」という一言で片づけられたことだった。

 なるほど、確かに、それまで農業界で実施されてきた戦略は失敗に終わっているケースが多かった。
だが、その根本的な要因の9割方は、戦略のコアな部分にあったのではなく、戦略を構想する前段階として必要な「政略もしくは組織編制に不備があった」というのが正確である。

 そうした実情を顧みることなく「戦略は失敗…不要」と決めつけるは短絡的だし、頭ごなしの暴言と受け止めざるを得ない。
そもそも戦略とは政略の延長線上にあるのだから、その地域における政治的環境――政略が失敗していれば、いかに綿密で高度な戦略を構想しようとも、うまくいくはずがない。

 また、戦略の行動単位として編成される組織で、才覚や人格に不相応な人物がリーダーに就いたり、組織の体質に不条理が生じた場合などでも、戦略は実施の段階で空中分解する。

 ゆえに講演でもその点を説明しているつもりなのだが、大方の地域は政略や組織編制を軽視して、いきなり戦略の具現化へと走り出す……これでは失敗に終わっても当然だろう。

 そこで、この場を借りて戦略失敗の最大要因になり得る政略や組織編制をあらめて説明したいと思う。
まずは政略の部分――その地域がいかなる政治的環境にある場合、戦略は失敗に終わるのか――次回、詳細に述べたい。(つづく)



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2019年度全国農業新聞連載「戦略論の裏の裏側」Ⅰ

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★クラウゼヴィッツにモルトケ?
★戦略論の背景を赤裸々に


★地域農業をテーマにした戦略論の講演で地方に出かけると、ときおり困った場面に出くわすことがある。
★それは、講演の最中にも関わらず、聴取者の中の一人が、戦略論の手順を話す筆者の言葉をさえぎって突然、大声でこんなことを言い出すような時だ。

「…戦略なんて、若い頃にクラウゼヴィッツとかモルトケでさんざん勉強したんだ。いまさら勉強しても仕方がないだろう…」

★そうした発言をする人はなぜか共通点がある――60~70年代に著名大学に在籍し、マルクスやケインズの経済学に精通。当時流行していた戦争論も読み漁ったようで、地方の農業界にあっては異端児ともいえるほどのインテり――。
★なるほど、若い頃に教養を培うのはおおいにけっこうだ。しかし、講演が粛々と進む中、勝手な発言で横やりを入れるような行為は迷惑千万だ。

★…いや、それ以上に今この場で、クラウゼヴィッツやモルトケの戦争論(もしくは戦争哲学)を論じられること――に閉口し、困惑するのである。
★彼らが活躍したのは19世紀のこと。戦争論はその後、世界各国の専門家によって進化し、戦争の直接・間接的要因だけでなく、政治・国民・倫理・経済・文化・社会、さらには心理学も含めて極めて多面的に考察されるようになった。

★そうした系譜があることを知ってか知らずか、唐突にも、化石のような古典的戦争論を持ち出すのは、時代錯誤も甚だしく、ましてや筆者が話す戦略論と、そうした高名な戦争論とを一緒くたにすること自体、「大きな勘違い」と言うしかない。
★筆者の戦略論とは、農業者や地域農業が今後に取り組むべき作戦段階や将来に掲げるべき戦略目標を明確化して、フロー図に描いていく――そのための手順を示した方法論である。

★だが、1時間程度の講演では手順の説明だけで終わることが多く、当然、別個に掲げる作戦や戦略目標の背景に存在する、必然的な論理を述べる暇もない。
★否応なし、戦略という言葉だけが独り歩きして高名な戦争論と混同され、例のような発言も飛び出てくるのかもしれないし――。それに、ホンネを言うならば、筆者の戦略論とは、その背景にある必然的な論理や条件を、すべてクリアしない限り、実現不可能な戦略論であることも事実である。

★そこで今年度の連載では、ふだんの講演などでは説明しきれない、背景にある必然的な論理や条件を、戦略フローに沿って説明することにした。
★題して「戦略論のウラの裏側」――裏に潜む特殊事情をあえて表に出して、赤裸々にする戦略論である。



農商工+学連携! 伊勢崎商業高校商業研究部の部員たちが市長と記者会見

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★「地域に『喝!』どん」プロジェクトで、地場産品を活用している飲食店の紹介HP公開や、インスタ映えする地場産メニューのフェア開催(6/1~6/14)、地場産メニューで対決する「No.1決定戦」(6/15)のフィナーレ開催に取り組む伊勢崎商業高校の商業研究部の部員たちが、6月3日(月)、伊勢崎市役所で、五十嵐市長といっしょに記者会見しました。
★同部では、数年前から、伊勢崎市「農&食」戦略会議と連携してプロモーションビデオを製作・発表してきましたが、今年度は市域の飲食店を動かうビッグ・イベントにチャレンジ。伊勢崎市の「ブランド・テロワール」は、農商工連携から、「農商工+学」へと発展しています。


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伊勢崎商業高校創立100周年記念プロジェクト  「地域に『喝!』どん」

★地場産味わうフェアde伊勢崎テロワール
★「地域に『喝!』どん」の第2弾が6/1からスタート! 

 
 2年前から「伊勢崎『農&食』戦略会議」と連携し、広報活動などを続けている同校の商業研究部が、今年度は伊勢崎商業高校商業創立100周年記念プロジェクトの一環として「地場産味わうフェアde伊勢崎テロワール 地域に『喝!』どん」を企画。

 第1弾では、4月から伊勢崎市内で地場産品を活用したメニューを提供している飲食店を順次取材。紹介するHPを立ち上げ、5月10日から順次発表していますが、これに続く第2弾のフェアが、6月1日(土)よりスタートします。また、フェアが終了する翌日の6月15日(土)には、集大成的な意味合いとして、地場産品活用のメニューでNo.1を競うフィナーレを、伊勢崎卸売市場で開催予定です。詳しくは、以下をご覧ください。

■第1弾/店舗紹介HP作成
「地場産ミシュラン! どっぷりジモチーな店はどこ?」
★伊勢崎市内で地場産を活用したメニューに取り組む飲食店を順次訪問・ヒアリングし、伊勢崎商業高校のHPにアップしていきます。

■第2弾/飲食フェア
「インスタ映えのお特盛! 食べなきゃ損だよ、いせさきグルメ」
★開催期間=2019年06月01日(土)~14日(金)の2週間(期間限定)。
★店舗対象=伊勢崎市内で地場産メニューに取り組む飲食店の有志が参加。

■第3弾/フィナーレ
「市場で店主が大バトル! 食べて選んで、いせさきグルメNo.1」
★開催期日=第2弾フェアの「フィナーレ的なイベント」としての位置づけ。第2弾のフェア終了日の6月15日(土)
★開催時間=07:30~12:00
★開催場所=伊勢崎地方卸売市場内・特設会場
★No.1決定=伊勢崎市内の飲食店が地場産メニューを引っ提げて特設会場に屋台を出店。伊勢崎商業高校・商業研究部がライヴ感覚で、屋台の売れ行き状況を放送するとともに、審査員になって「いせさきグルメNO.1」を決定!

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「テロワール発想」とは
★Wikipedia によれば「農作物の土地や気候など生育環境を意味するフランス語から派生した言葉」で、その起源は「何世紀にもわたってフランスのワインメーカーが、異なる地域のブドウ園、異なる区域のワインの違いを観察し、それぞれに独特の生育環境があることを示す用語として使われるようになった概念」とされ、地域おこしや里山おこしの運動などでも最近、日本でもテロワールが例えられるようになった。
★たとえば――1 人の農夫が農作業して 1 日に往復できる距離はおおよそ半径15km。この地域を自らの「ふるさと」と捉え、この「ふるさと」で「最高のワイン」を造るなら、その土地と環境に伝わる土壌菌を生かし、伝来のワイン葡萄品種を育て、周辺の山々にあるオーク材で組んだ樽に詰め込み、地域伝来の醸造菌を活用して醸造すること。そして、このワインにマッチするのは地域伝来の食材と調理方法で作った料理であり、それこそが「最高の食文化」である。その誇りを持って周囲の人々にも地域の食文化を伝え、魅了し、周囲の人々をも「ふるさと」に誘い込む――といった発想になる。
★それは、現代の時代の言葉を借りるなら――地域環境を保全ながら、その環境で育成・採取できる原材料をもとに、地域の人々が地域の知恵と技で独自の食文化や生活文化を築き、これを伝統として継承し、周囲にも発信し、周囲の人々を誘い込んでい――つまりは「農商工観光連携による環境保全型の地域経済活性化」ということである。

読売新聞全国版の「地域力」に伊勢崎市農政課の取り組み

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★2019.04.25付け読売新聞全国版(26面or27面)に、群馬県伊勢崎市農政課のブランド化事業が取り上げられました。
★地場産品でブランド化を目指している地域の方は、ぜひ、参考にされたし。